その後

昨日は、キツイ日だった。


そもそもの発端は、一旦決まった退院の日のことを父が蒸し返したこと。
「ほんまにもうかえっていいんやろか」
「月曜までしか休めないてゆうたから、無理して退院させんのちゃうか」
「なんか気になってしょうがない」
「T先生は自信なさげな言い方やった」
「もっかいL先生に聞いたほうがいいと思う」
最初は「L先生がちゃんといいってゆわはったんやで?標準的な予定から一日早くなっただけやし、大丈夫やって」といっていたのだが、何度も何度も同じ話を蒸し返し、果てには夜の10時過ぎにわざわざナースステーションに電話し、母に「もう一度L先生に聞くように」と言いたいがために電話をかけさせようとまでし始めた(そして実際した)。


もうなんなんだ!ぐずぐずぐずぐずぐずおんなじことばっかり言って!
と、ブチキレタ。


私が一生懸命事前にいろいろ調べたりした資料や、話をろくに聞こうともせず、自分で勝手に解釈し、ぐずぐず言うのが許せなかった。先生のわかりにくい話を、一生懸命噛み砕いて伝えてるつもりなのに、ちゃんと聞いてくれない。
そういうストレスもあった。


あと、今回実家に帰ってみて初めて、父が弱っていることに気づかされた。
ずいぶん体の調子がよくなく、時々心臓の調子もよくないような様子を見せたりしたので、父をひとりにするのが怖く、心配で、ずっと一緒にいた。できれば少しはひとりで買い物に行ったり、友達とご飯くらい食べたいと思っていたけれど、それもしなかった。


すると(これはお互いだと思うが)ストレスのはけ口がなく、気分転換することもできなかった。


そしてどんどんどんどん、コップに水がたまるように、ストレスがたまり、表面張力を超えて、あふれた。


そしてあふれて気づいた。
実は、今回の母の病気のことが、すごくすごく心配で、つらかったこと。


仕事柄、初期発見であれば治る病気だということを知っていたこと、本人が告知を受け、それを自分自身が私に伝えてきたことなどから、初めて聞いたときからものすごく冷静に状況を受け入れていた。すぐに帰ることを決め、旦那に話し、仕事を休む段取りもつけ、行くまでに片付けないといけない仕事を片付けた。帰ってからは、あまりの元気さにむしろ拍子抜けした。オペ室へ入るときも、泣けるなんてことは無かった。手術から帰ってきたときも、辛そうで苦しそうだったけど、それを見て泣けたりしなかった。むしろ、「どうしてこんなにアタシは平静でいられるんだろう」とずっと思ってた。


でもホントは、平静だったんじゃなくて、心配でつらい気持ちに、蓋をしてただけだったんだ。
いろんな事考えて、気づかない振りをしてたんだ。
でももうキャパシティがなくなっちゃったんだ。
と、わかった。


父が寝てから、ぼろぼろぼろぼろ泣きながら、同じようにお母様が同じ病気をしたことがある先輩と、旦那に愚痴のメールを書いた。目はぱっちこ腫れて、こんなに泣いたの久しぶり、って言うくらいに泣いた。


ひとしきり泣いて寝たら、だいぶ、気持ちがすっきりしました。
そして、きっと、父も同じような気持ちだったんだろうな、と冷静に考えることができました。
何より二人とも、結構極端な「心配性」。
心配の仕方は人それぞれだけど、心配する気持ちは同じ。
だけどなかなか、うまくは行かないものらしい。


しかし、私、たった一週間でガス抜きが必要になっちゃうなんて、ヤワ過ぎる。
介護や子育てで毎日格闘してる人だって、いっぱいいるのに。
でも、介護ノイローゼや育児ノイローゼになっちゃう人の気持ちが、少し、わかりました。